教養諸學研究, Temas102-105早稲田大学政治経済学部教養諸學研究会, 1996 |
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テスは自分で自分の立場を嘲笑しつつ、相手をさらに嘲笑するために議論をもち出している。ソクラテスが『弁明』の冒頭で、自分はソフィストではないと強調するのは、逆さまに読まなければいけない。すべての説明は事後の説明である。説明は、説明される ...
テスは自分で自分の立場を嘲笑しつつ、相手をさらに嘲笑するために議論をもち出している。ソクラテスが『弁明』の冒頭で、自分はソフィストではないと強調するのは、逆さまに読まなければいけない。すべての説明は事後の説明である。説明は、説明される ...
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... 自分はすこしも知者だと思っていないが、神が嘘をつくはずもない。これは自分にかけられた謎だと思い、その謎を解くために、知者という評判で本人もそう自認している人々に問答をしかけたというのである。さて、ソクラテスは、詩人のところへ行って彼の ...
... 自分はすこしも知者だと思っていないが、神が嘘をつくはずもない。これは自分にかけられた謎だと思い、その謎を解くために、知者という評判で本人もそう自認している人々に問答をしかけたというのである。さて、ソクラテスは、詩人のところへ行って彼の ...
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... 自分自身を知れ」と、自分が無知であることを自覚していない他人に向かっていうのは、いま挙げた例でいえば、羊であることを知れ、羊になれということである。他方において、「真に無知」であることを自分で知っている者は、ソクラテスただ一人である ...
... 自分自身を知れ」と、自分が無知であることを自覚していない他人に向かっていうのは、いま挙げた例でいえば、羊であることを知れ、羊になれということである。他方において、「真に無知」であることを自分で知っている者は、ソクラテスただ一人である ...